2022/10/12 短め。
そういえば、娯楽という概念があった、とチェンソーマンのOPを見て思い出した。私はチェンソーマンを見たことがない。それでもあのOPはとても良かった。本編を知っていれば、きっとこの数億倍楽しめたり興奮したりできるのだろう。それが羨ましいと思う。
そういえば、娯楽という概念があった。スプラ3をやっていないことも思い出す。落ち着いたらやろう、と思っているゲームを後回しにして、気付いたら忘れている年齢になってしまった。
勿論、趣味は何かと聞かれたら「勉強、読書、美術館」と答えてそれは娯楽として機能するのだけれど、最近は勉強は資格とって配信で活かしたい、読書は人生の糧にして感想などを言葉にしたい、美術も配信で活かしたい、と何もかも娯楽となり得るものをアウトプットに直結させ過ぎて、単純な娯楽の存在を忘れていた。本当に脳からシャットアウトしていた。
勉強、作業、配信、勉強、作業、収録、配信、勉強、みたいな生活を本当にずっと送っている。娯楽のある生活を送りたいな。多分、中途半端に忙しい時に娯楽を挟むと「この時間もったいないな」と思ってしまうので落ち着いた状態で娯楽を取り入れたい。多分この考え方が間違っていて、娯楽は無理矢理にでも挟んで生活と精神を安定させるべきだ。それが出来たら良いけれど、もうその域を出てしまった。
受験の時に娯楽としての配信をしなかった。それは「受験に失敗したら多分配信を恨むから」と思い込んでいたからだ。受験はうまく行ったから良いけれど、もしも失敗していたら、多分ものすごい自己嫌悪と、配信への、何かしら言葉にし難い嫌な気持ちを抱いていただろうと思う。それと同じ調子で、今人生に娯楽を挟むと全てがずれて、失敗して、自己嫌悪に至る、と心のどこかで確信している。
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