「あなたは海がお嫌いなのかしら」と訊かれたとき、私は質問の意味が分からず、「海ですか」ととりあえず訊き返した。夏の正午、父親に言われ訪れたマンションの窓際から外を見下ろすと、祭りに参加する人たちがざわざわと動いているところが見えた。今日はこのあと、目の前の道路を山車や踊り子が通っていく予定なのだ。注意して見てみると、知っている人の姿も見える。それにしても、なぜ、海なのだろう──。「父の彼女の母親の妹」であるらしいその女性は、引き寄せた客用の椅子に座って窓の外へと向きを変えた。背もたれに身体を預けてはおらず、年齢の割には背筋が伸びている。女性は「あなたもお座りになって」と別の椅子を指差した。それで私は頷きながら、なんでこんなところにいるんだろう、と思った。それは、ただ今この瞬間の地点として、あるいは、ここに辿り着くまでの、掬いきれない全てとして。外の熱気と喧騒をガラス一枚で遮断した部屋は、陽光がすべり込み少しだけ明るい。部屋は静かで──実際には大きな画面のテレビから、水の流れと鳥のさえずりのような環境音が流れていた──ゼリーの中に閉じ込められたみたいに感じられた。すっかり時が止まっている。
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