・最近はぼんやり忙しいような忙しくないような日々を送っている。月・水木金が学校、土日はそこそこ仕事なため、完全な休みは火曜日に設けている。そのせいか一週間というか、5日働き2日休みの型というか…ともかくそれが崩れていて、とにかく月日の流れが早い。普段付けている日記には、三日に一回くらい「もう〇〇日、あっという間。」と記されている。(見返して、いつもそう、と思う。)
・一週間前くらいにmbti診断をやり直したら、仲介者(INFP)みたいなやつから建築家(INTJ)というものに変わっていて、多分より論理的・内向的な人間に分類されるようになっていた。(あれ?と思って何回かやり直したけど、全部建築家になった。)診断は、たくさんの質問にポンポン答えることで進むのだけど、最近その質問が一新されようだ。「美術館にいくのがすきか」みたいな問題があって、なんでも聞くんだなあ、と思った。
・これは物事を論理的に考えたり、加点方式ではなく減点方式で考えたり、一つのふわっとしたものを分解して言語化する、という作業を多くやっているせいなのかもしれない。ここ半年くらい、だと思う。建築家、は男性に多く、その理由はおそらく感情ではなく理性で、論理優位な思考をするのに特徴があるからだと思う。人口のうち、建築家の女性は0.8%と極めて稀らしい。本当は仲介者なのかもしれない。(そもそもmbtiが当てにならない説もある。)
・感情的になりにくくなった、と思う。今までのような何かがつっかかって、それでいて溢れそうな文章とかを書かなくなっているし。書こうと思えば書けるけれど、それは感情的な自分を思い出すという行為をしながらのものになるだろう。
・梅雨なので、「雨」という漢字をよく見かけるようになった。雨の文字は、窓ガラスの向こうに広がる天気そのものを眺めているような形をしているね。どうして今まで気づかなかったのだろう。
・もともと雨が好きではなかったけれど、最近は好き。理由は単純そのもので、私の好きな作家が雨を好きだから。愛及屋烏。その作家は、雨が降ったら「雨を見ましょう」と提案するくらい、雨のことを好いていて、飼い犬にも「雨」と名前をつけていた。
・私は枕を窓のそばに置いていて、雨の日は、ベットに入ると窓ガラス越しに雨音が聞こえる。朝方、とつとつ、と地面を打つ雨の音を聞きながら、遮光カーテンのおかげで真っ暗な部屋の中で、長いこと眠気を待ったりする。それからもっと激しい雨の日は、ベランダの手すりを打つ、こまやかで少し高い雨音も聞こえてくる。その音も大好き。
・それから私はお風呂もすき。よく、明かりをつけないでお風呂に入ってぼんやりしたり、音楽を聞いたりする。
・一年前くらいに温泉旅行に行った。その日はものすごい台風で、部屋についていた露天風呂から、大雨を眺めたのをよく覚えている。ぼつぼつ、みたいな雨音はしないで、ただひたすらに、目の前に広がる新緑の木々と、もやがかった空気と、雨を見た。雨は行き場がないみたいで、ぼわぼわと広がるような音を立てていた。のぼせそうになってお風呂から出た後も、本を持って、足湯みたいにしてお風呂の側にいつづけた。冬じゃなくてよかった。ご飯を食べるときも雨の音がして(その時はもう台風がとんでもないことになっていて、心配、の感情の方が大きくなりつつあった)、なんだこりゃって感じだったな。でもずっとこうしていたいと思った。ひとりで、ただそこに留まり続けたかった。(ご飯がウルトラ美味しかったし)(土鍋のご飯って最高)
・そういう「日」単体を思い出すたびに、「日々」とあう生活を愛せるようになりたいと願う。最近はそれを口に出したり、今みたいに文字にしたり、自分で知覚できるようにしている。生活を愛したい。
・具体的な行為、それらの積み重ね、その繰り返しというルーティンを愛したいのではなく、ひとくくりの生活を慈しみたい。これはもう、海を抱きしめたいと言っているようなものだけれど、私は海を抱きしめられるくらいの人間になりたい。(次回に続く)